2012年5月16日水曜日

ここ数日

ちょっとここ数日、地に足がついていなかった。

数日前に、友達が死んで(自殺)いたことを知った。
正確には、1年前のその日が命日で、共通の知り合いがそのことを言うまで知らなかった。

(彼は)2年くらい前に実家に帰っていて、遠かった。
だけど1年前の僕、1年間の僕は、彼のことなど完全に頭になく、自分のためだけに生きてきた。

これからもそうするつもりだ。

だけど知らないうちシャットしていた。

まったく別の件で、そのさらに数日前、若い友達と話してた。

「遠藤さんは、なんで活動やっているんですか?」

「(もうほとんど動いていないけど)今はほとんどやっていなくて、とくにこの1年、自分のこと、自分のために生きることにしようとしていたんだよ」

「どうしてですか?」

その人も、彼の分野で活動していた。

「だけど、以前の活動は『自分がやらなきゃ、誰がいったいやる?』というかんじで動いていたんだよ。けど、色々な出会いがあって… 

僕は自分に自信がなかったんだと思う。
だから、その活動をすることで、自分の”アイデンテイティ”のようなものを、そこに置こうとしていたんだよ。
僕は、その活動で、ミッションで、それが生きる意味。
だけど、そうじゃなかった。
僕は、誰かと本当に相対する時、一人の人間で、愛されたくて、自分の思いに従って、生きていきたい、人だと思ったんだよ」

「僕も、自分がそうかもしれないと思っています」

友達が死んでも、人生は続く。
僕は僕のために生きていきたい。

だけど…

僕が自分らしく生きることと、あなたと共に生きることが重なりあえないでしょうか。

ずっと、ずっと、ずっとそのことを考え続けてきている。


取材で、ある人と話していた。

「制度に保証されなくても、自分とその人が、関係を作ることに合意しあって…相手を疑うかもしれない、自分がわかってもらえないと思うかもしれない。
でも、そこで『一緒に生きていくんだ』と誓いあったよねと、振り返って、相手を信じること。

それまでに、二人の間で、築こうとしている関係はどういうものか、どんなふうな関係にしていきたいのか、確認しあって、話し合って。たがいにわかったり、わからなかったり、そんな関係づくりを続けていこうと、二人で誓いあうんだよ。

それが、結婚式」

(相当、僕の現時点での大意で書いています)


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