2011年6月28日火曜日

晴れてる日に













 僕は共依存体質です。
 最近、ある女の子とよく会ったりお話をしていて、僕も彼女には共感できるところがあるものだから、色々話を聞いていました。
 今までのココロ系・自意識系体質の子の例にもれず、彼女も色んな被害を受けていました。
 僕は知らず知らず「入って」いってしまいました。
 「つらそう。なんとかしないと…」

 今までの経験から、何もできるわけがないことは頭で知っていました。
 だけれども、心はどんどんつらくなるわけです。
 どうして世界はこんなに醜いのか。
 そして自分には何もできないのか。
 知らず知らず。

 連続する試合のせいもあるのですが、「入り」こみやすい僕は、少しノイローゼ状態になりかけていました。
 別に彼女でもなんでもない子です。
 昔からそうなのです。
 勝手に、自分のほうから誘ってひきつけ、抱え込みたがるのです。

 昔、決別したつもりでした。
 彼女たちの人生には、僕は何の、保護する責任もない。
 僕自身の弱さを、見せつけられるだけというか、自分のことすら満足にできてない。
 それよりも、何よりも相手を信用していないのではないか。
 僕がいても、いなくても、彼女彼らたちは、生きていくだろう、幸せに向けて。
 それだけの力があるはずだと。

 へんに、関わろうとしすぎることで、相手の(強くなろうとする)力すら弱めてしまっているのではないか。

 そんな思いをして、付き合っている子とも別れましたし、まわりにいた、色んな女の子とも連絡を断ちました。

 あれから、10年。
 僕は何も変わっていないのでしょうか。
 でも、ふと、思い出したのです。
 自分にできることは、信じ続けることだと、まずは。

 別れる時、「いい友達になりたい」と思いました。
 相手の、母になることでも、支配的な恋人になることでもない。
 いつか、あの人と、再び出会うことがあったら、何もせず、信用して、一緒にいてあげるだけの友達になりたい。


 そう、何もせずいることすら、当時の自分には無理でした。
 「なんとかしよう」としすぎてしまった。

 昔の女の子や、好きだった子にはもう会えないかもしれない。
 もう会わないように断ち切った子もいる。
 だけど、ずっとそう思っていた。

 たぶん…。

 これから、出会ってゆく子たちは、昔からの子たちと同じように、自分の、今すぐには何ともできない「問題」を持っている子かもしれない。
 そこは変わらないかもしれない。
 だけど…。
 たぶんきっと、これが「再会」なのだろう。

 あの時別れた、数々の女の子たちと、もう一度、出会えなおしているのかもしれない。
 そう、まったくの別人として。


 自分は、あの時思った、友達であることができるだろうか。
 相手を信じられるだろうか。
 時間はかかっても、数々の出会いが彼女たちを、少しづつ変えてゆくし、変わる力があり、その側に、僕は何の恣意もなく、何も期待することなく、遠くからでも、立っていられるだろうか。


 何もできない。
 僕自身にしてもそうだ。

 だけど…。

 ここからが未来のはじまりなんだと思う。


 

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