2011年5月7日土曜日

ニートだけど石巻行ってきた(在フェアトレード東北)

 5/1夜~5/6朝まで、正味4日間、石巻市のフェアトレード東北さんのとこにお邪魔してきました。
 いちおうボランティアで。

 目次
 ■一日目(物資支援など)
 ■二日目(独居高齢者ヒアリング)
 ■三日目(高齢者ヒアリング)
 ■四日目(牡鹿半島・女川)
 ■その他…(つぶやきです…)

 一日目 

 一日の夜に新宿から夜行バスで仙台へ。
 なんか新宿のバスターミナルで、偶然案内バイトしていたシゴリエの元スタッフに会いました。見送ってもらいました。
 まあ幸先良い運命か(笑)
 6時間弱で着いた仙台から、朝イチのバスで蛇田歩道橋まで。1時間ちょいほどです。
 事務所に着いたのは午前9時前ころでした。














 事務所の外観




 









 注意事項や応援の寄せ書きが張られています

 ちなみに高速から石巻市に入ったあたりは、もうかなり普通に日常が進行していました。
 フェアトレ事務所も震災直後は近くの川の排水ポンプが電気が切れて壊れて、水位が上がって腰のあたりまで水に浸かったということです。
 ですが水とヘドロをかき出し、今は物資置き場件本部としてきれいな状態です。

 さて、着いたら、まだ事務所は人がいなかったのですが、奥から出てきたのが、以前イベントに何回か参加してくれた竹内さんでした。
 びっくり!
 僕が参加者たちに送信したメールでフェア東北さんのことを知ってきてくれたみたいです。
 28日くらいに入って、7日までいるみたい。
 すごいですね。


 





 

 竹内さんと

 みんなは他の仕事のためミーティングへ行ったのですが、僕はまだ布施さん(代表)が来てなかったり、ということで待機。
 着いたすぐ後に、東京シューレさんのソーシャルワーカーの方も来たりしてました。

 結局この日は、布施さんたちの車で物資(中学校の給食用)を学校に運びに行ったり、事務所の配給や、物資倉庫の整理などしてました。
 
 中学の給食というのは、米やレトルト。
 生徒さんたちは被災していて、避難所から通っている子たちばかりなのですが、朝は炊き出しより早く学校に行き朝食を食えず、昼は食材が届かず、夜だけしか食べれない。
 なので、フェアトレがその中学には給食物資を持っていっていたのです。
 ちなみにレトルトというのは、学校の中では火が使えない…ためらしいです。
 布施さんいわく、県のトップはOK出してるのに、学校関係者がNGのため調理できならしいのです。
 
 










 中学校の玄関に置かれた物資

 事務所の配給というのは、午後2時から近所で被災したフェアトレ東北の会員さんたちが来て、ご飯や支援物資などをもらいにくるものです。
 3時半ころまで、並びはしませんが、途切れなく訪れて、受け取っていきます。

 








 足元にあるダンボールから様々な物資を入れて渡します

 








 積まれた物資たち。朝なので全然少ないです。

 

 






 事務所玄関から入ったところ。ここにも物資が。

 夕方は物資の倉庫に入って寄贈してもらった電池やバッテリーなどの分別や、デジカメやPCが動作するか検品?を少ししていました。

 
 
 








 カラオケボックスを借りた物資倉庫。先に入って検品していた大学院生。半日倉庫にいたので若干お疲れ^^;

 とりあえずその日はそれで終わりになりました。(午後5時過ぎ。だいたいこのくらいに終わります)

 倉庫から帰ったら、東京シューレさんの一団がやってきました。
 理事長の奥地さん以下、不登校新聞FONTEの人も。
 実はニート系NPOにもフェアトレを応援しようぜといっせいメールを出したのですが、そのメールに反応して、彼らも岩手の被災地でボラめぐりをしていらのですが、支援物資を持って寄ってくれたらしいです。
 うれしいです。
 布施さんに1時間ほどインタビューしてました。

  
 







 奥地さんやシューレの人たち。マスクの方が一緒にボラもしたソーシャルワーカー鈴木さん

 宿舎はGW中は近くの集会所を借りていて、そこで寝袋や若干の毛布などで雑魚寝していました。
 GW後は、事務所の2階などになると思います。
 女性陣はGW中も2階にいたと思います。

 夕ご飯に、作ってもらったカルボナーラのパスタを食べ、夜は、一橋の大学院生の人3人が車で来ていた(車で来ていたのですが、その車は「使わないから」と、そのままフェアトレ東北に寄付したそうです!スゴイ!!)のですが、彼らに一緒に乗せてもらい、事務所から50分ほどの温泉に行きました(さくらの湯)
 外風呂も広くて、めちゃめちゃ気持ちよかったです!
 風呂は入れないかなと思っていたのですが、ありがたい~

 








 大学院生たち。仲良くしてくれてありがとうでしたm(^^)m 運転席に座っている人は、以前東北大学にいて、現フェアトレの事務局長でもあります。

 宿舎に帰ったら、大学生たちが飲んでたので、まあ混じってもよかったのですが、なんとなく気持ちを切り替えたかったので、外で1時間ほど空手してました。
 不審人物ですよね…。
 その後、少し彼らと話す。
 大学生たちは、色んな大学の医学部グループで、徳島や島根など、遠くからも来ていました。
 男女半々くらいで、男の子は泥出しとかもしてましたね(フェアトレの仕事ではありません)
 寝たのは、12時半ころでした。
 
 








 宿舎(集会所)の中。キレイですね。ピーク時は大学生たちが30人以上いました^^;ギチギチ


 2日目 

 この日は、石巻海沿いにある被災地で、自宅に残っている独居高齢者を見つけてヒアリングをしました。

 被災者の人は、避難所にいる人ばかりではありません。

 とくに高齢者は避難所の中でも隅においやられたり、ほっとかれたり、居場所がなくて、2階だけでも住居が残っていたりすると、自宅へ帰って暮らしている人も多いのです。
 フェアトレは以前、避難所を出て徘徊しているおばあちゃんを保護した経験から、排除されている高齢者がいることに気づき、それぞれに物資を届けたり、話を聞くなど支援をしたり、広くヒアリングをしようとしています。
 
 また、主な避難所である学校がはじまり、4月に入ってから避難所が解散している場所も多いのです。
 自宅に戻れる人は(状態がひどくても)、戻って生活している人はかなり多いです。


 8時前に起きて(その前に、大学生の空手経験者と、ほんの少しだけ空手のウォームアップをしてました^^;)ご飯を食べ、9時から集会所で班分けと打ち合わせをしました。

 一班10人弱くらいの4班に分かれ、さらに二人一組で調査に入ります。
 僕のペアは、東京の地図専門出版社の女性で、物腰きめ細やかな方でした。
 
 10時ころに現地入り。
 途中、津波を完全にかぶった所を通って行ったのですが、これがかなりひどい光景を実際に目にしたはじめてでしょうか。
 
 現地の避難所でもある小学校に車をとめ、分担したエリアに分かれて一軒一軒たずね、独居の高齢者はいないか調査します。
 僕たちのエリアは、基本的に住宅街だったのですが、公営住宅も少し入っていましたか。

 この日は、詳しく話しを聞いたのは、5,6人だったでしょうか。 

 聞きとるのは、年代や家族構成などプロフの他、経済状況、衣食住(3食食べてるか、栄養状態、着替えや洗濯、入浴、住居の状態)、それから一番大事なのが健康状態です。
 持病や、状態(要介護か等)、口では「元気だ」と言っていても、様子や世間話から突っ込んで?聞き出すのです。
 (経済状況も聞きにくいので、世間話的に聞いていきます。まあ、他のヒアリングと同じですね…)

 住んでいる人は、外からの人だと警戒する傾向があるので、「蛇田(フェアトレの場所)から来たNPOです」と最初に言います。
 そうすると、ああ、蛇田から来たのか、とわかってもらえます。

 一人目は、対象ではないのですが、行きがかりで話した、70代の品のよいおばあちゃんでした。

 (以下、インタビュー内容を書く際は、すべてプライバシー保護のため細部等を変えています。おおまかな意味合いは変えていませんが)
 
 築30年のお家は全壊。
 最初は夫婦で、お兄さんの所にいましたが、そこの家の旦那が自分も被災者だったのに加え慣れない共同生活で倒れてしまいました。
 そこで息子夫婦の所に行きましたが、息子さんの奥さんの家族も避難してきていたりして、いにくいので、結局幼稚園の避難所にいて暮らしています。
 お会いしたのは、その息子さん夫婦の所で、お釜が手に入ったので、届けに来ていたのです。
 
 持病があって、薬を持ち歩いています。
 震災後は、緊張が続いて、一度も発作が起きていないそうです。
 「持病を抱えて、70を越えて先行きのわからない二人が、これからどう暮らしていけばいいのか。仮設も抽選当たらないし、毎日が不安。転々として、まわりにも気を使って眠れない日々が続きます。2,3日でも、どこか安心して休みたい…」

 「ここの地区の被災者たちは、今も(震災)当日のまま。石巻の中心あたりに行くと、まるでなにごともなかったかのように日々が進んでる。その差が、辛い。同じ市民でありながら…」
 話ながら、少し涙ぐまれていました。

 「でも私たちは戦争を経験してるから。強いのよ。この震災を経験した今の子供たちも、これを通じて、強い大人になってほしい」









 

 
 



















 こんなかんじの情景が続くエリアです。道だけは瓦礫撤去されてますが、かなりの家が被災しているままです。

 午前中は独居の人は見つかりませんでした。
 「独居の方はいませんかねー」と聞いても「このへんはいない」とか「避難所に行った」(もしくは亡くなった)とかと返ってきたりします。
 それでも一軒一軒まわりましたが。

 お家の中はプライベートなので出しませんが、お家の中もひどい有様なのに「ここに住んでるのかなあ…」と思いながら「こんにちわー」「失礼しますー」と声をかけていました。

 他に、独居じゃないのですが行きがかりや、孫と住んでいるのに間違えて話を聞いたりしてました。

 「外国には、いいこと言ってるけど(震災があっても礼儀正しい、ゆずりあい?等?)、実際避難所の中では、若い人たちばかりがいいようにしているよ。場所をとるのだって、(彼らは)足を投げ出して、年寄りたちは体育座りだし、たまに少しスペースを空けてくれても、夜になって寝る時になったら”どいてくれ”。物資とかだって、体力のある人が有利に暮らしていて、年寄りとかは皆隅のほうさ。それは住みにくいよ。(避難所から)出ていきたくもなる」
 という声も聞きました。

 午後1時ころになって、小学校に戻ってご飯。
 分担のエリアが終わったので、午後は他のエリアに行きます。
 
 しかし、瓦礫の中を踏み歩いて家に行くので、やはり粉塵がひどいですね。
 話す時は僕はマスクはとりますが、途中から、普通のマスクではなく、道場の人にもらった防塵マスクで歩きました。
 それでも若干のどをいためました。

 そういうところで、皆暮らしています。
 マスクをしていない人も多かったですね。

 午後も、何人か聞きました。
 完全に家が壊れて2ヶ月ぶりに借家で暮らすことができた人、津波の時はベランダの手すりにぶら下がり続けて助かった人…。
 
















 自宅避難者が多いエリアでは、いたるところにこうやって、使い物にならなくなった畳が道に積まれています。

















 ↑横に農地があるお家は悲惨でした。ゴミが農地にたまって、いつまでたっても撤去しないので、腐りまくってウジもわいてきているのです。
 洗濯を干しても、ゴミのにおい。
 実際本当ににおいがきつかったです。
 「NPOです」と聞いてまわってると「どうにかしてくれ」と泣きつかれました。
 自衛隊は、ほんの少しだけやって、撤去してそのまま行ってしまったようです。
 実際このエリアの自衛隊配給は次の日で終わりのようです。
 「どうするんだ」と皆言っていました。

 
 午後は、独居の高齢者を一人だけ見つけました。
 
 「いったいあなたたちは何をしてくれるんだい?自治体もNPOも何もしてくれなかった。結局家の壊れたものたちは全部自分で買い換えたよ」
 
 洗濯機も、お風呂の装置も買ったと言っていますが…本当はどうかわかりません。
 なぜなら、このエリアはガスも通っていない所が多いからです。
 水の配給もされています。
 
 「補償はいつされるんだ。本当されるのか。何にも来てない。避難所にいる人たちはいくらかもらっているという噂も聞くよ…?私たち(自宅にいる人)は震災後一銭ももらっていない」

 そう言って配給をもらいにゆっくり出かけていきました。

 
 5時ころに終わり、帰りました。
 
 










 事務所はいつも人でいっぱいです。スタッフやボラだけでなく、近所の人たちも、布施さんたちの活動を手伝おうと詰めてきてくれたりしているのです。

 夜は空手をした後、また大学院生さんたちの車に乗せてもらい、昨日よりは近い温泉に行きました。(ふたごの湯)
 毎日入れるなんて感激です^^
 その後、一緒に泊まっている医大生たちが最後の夜だったので、酒盛りなどをして話しまくってました。
 とくに徳島大の女の子とかなり話してましたねー国境の無い医師団にいつか参加したいようです。
 みんな素敵で立派だね!!
 さすがに、12時過ぎたら、僕は明日もあるので台所のほうで耳栓をして寝ましたww


 3日目 

 
 大学生たちは帰るので、昨日や今日新しく来たボラの方たちなどと、若干人数は減りつつ、2班に分かれて別のエリアの調査に行きます。
 昨日とは若干違って、今日は在宅高齢者なら、誰かと一緒に住んでいても聞き取るらしいです。
 
 そういえば、昨日は「何かあったらここに連絡してください」と、インタビューした後、皆が、フェアトレのチラシを渡したのですが、反響がすごかったらしいです。一晩で20本くらい電話がかかってきたようです。
 それだけ、色んなものが物心両面において行き渡っていない所が多いのでしょう。

 10時過ぎに現地に着きました。
 自衛隊が瓦礫の撤去をどんどんしている地区でした。
 第一印象は「粉塵がすごいな…」

 車を停めた中学校でも、ほとんど外に出ている人はいませんでした。
 今日は、偶然、竹内君と一緒にまわることになりました。
 元ニートペアですwww

 担当したエリアなのですが、いきなりもう誰も住んでいない所が多すぎました。
 粉塵の他、においがヤバイ。
 流されてきて乾いたヘドロ、腐った魚などの匂い。
 ただでさえひどい家の中の状態なのに、これで自宅に暮らすのはちょっと大変だろう…。

















 こんな状態のところばかりです。いちおう声をかけていきましたが、返事はありません。

















 玄関。内部はうつしませんが。一階部分もこういう状態のお家ばかりです。

 ところが、いらっしゃいました。
 
 「もうこれじゃたぶん”いない”ってチェックしていくばかりだから、二人わかれて動こうか」
 と言って一人ずつ動いた矢先です。

 ここもいないんだろうなーと思って「失礼しますー」と門をくぐったら、中から物音と声が。
 かくしゃくとしたおじいちゃんが出てきました。

 ご夫婦で暮らしています。
 1階は庭も含めてひどい状態なので、2階で暮らしています。
 ただ、昨日社会福祉協議会のボランティアがやってきて、1階をかなりきれいに片付けてくれたそうです。
 「自衛隊と違って”これはいりますか?”といちいち聞いてくれてから捨てていくのがうれしかった」と。

 奥さんが腰をいためており、避難所は痛くていられないので家に戻ってきたと言っていらっしゃいました。
 しかし、実際は、この方は動きたいのではないか?と思いました。
 「栄養バランスは?」
 「この状態で栄養とか言っている人たちはぜいたくだよ!避難所の人たちは、毎日ごろごろ寝てばっかりいる。あれはどうかと思うよ!」

 庭が瓦礫の山だし、片付けようにも車が2台流されて入ってきてしまっていて、片付けられない。ゴミを出しても、道路もゴミだらけで、これ以上捨てると道をふさいでしまう。
 だから車も買えない(車でないと、奥さんをお風呂にも連れ出せない…)
 自転車で40分くらいかけて週一度くらい買い物に行く。
 炊き出しのものは脂っこくて受け付けない。
 配給のラーメンや、買ってきたもので自炊をしています。
 ガスも電気も(もちろん水も)通らないので、七輪で。

 「今ほしいものは、使い水。飲み水はくれるんだけど、もったいなくて洗濯できない…。それから石灰。ゴミを片付けた後に撒きたいが、重いし、自衛隊もこのエリアの自宅の人には持ってきてくれない」
 
 「市の人が、自転車で拡声器とかで”今日の水はどこで配りますよー”とか叫んでくれないかなあ。わざわざ避難所に来て、見ろ、っていうのもどうかと思う」(ボランテイアでもいいですよね)
 
 「全壊なので全部取り壊すけど、その後に仮設でもいいから建てて住みたいなあ。年金生活者だからプレハブでもいいんだ。ただ、この地区はもう津波で危ないから公園とかにするっていう都市計画があるとか聞いたり、それが一番不安だ…情報を開示してほしい」

 45分くらい、話を聞いて、一度立ち去ったのですが、奥さんがどうしても気になって、もう一度たずねました。
 腰の他に持病も持たれてました。
 「近所でよく立ち話とかしていた人たちが、なくなったんだけど、夢に出るんだ。さみしそうに立ってる。それでいつも夜3回くらい起きてしまう。眠れないから昼に少しだけ寝ている」

 (上記はプライバシーのため細部変えてあります)

 















 許可を得てお家の中を写させてもらいました。他にも写してありますが公開しません。家の外のも。真ん中にあるのがお料理をされている七輪です。

 午前中は、他にやはり住んでいる人が見つからないまま
終わりました。
 粉塵の校庭でカロリーメートとかを食い、残りのエリアへ。

 若干、(比較的ですが)午前のエリアよりはお家たちがちゃんと建っていて、若干ですが、住む人もいました。
 高齢者ばかりでなく、若い人も住んでいました。
 ものすごく疲れた顔で、やせた、僕よりも少し年下だろう小柄な女性が出てきて、なんか胸が痛くなりました。
 「他の地区は配給も出ているらしいのに、うちの地区には来ない。(炊き出しだけ)なぜなんでしょう…?」
 
 おそらく…この地区はほとんど避難所にいると勝手に認知され、自治体からは配給が行われないのでしょう。
 それは言いませんでしたが…。
 
 











































 このイタズラ?は人のいる証なのか^^;;;;

 それから、また海沿いに戻っていったのですが、言い方は悪いですが「ゴーストタウン」化していました。
 昨日のように、1階部分は壊れていても人が残っているのではなく、人も通らない。

 住宅地だったはずなのに。
 1時間半くらい、声をかけはしましたが…、誰にも会わずに歩き続けました。

 















 地図には家があるのに、何軒も存在しませんでした

















 何度もため息をつくパートナーの竹内くん。実際僕もこの日は少し疲れました

















 周りが崩れた中、一軒だけ「なんとか」立っていた家。誰もいません

















 海鳥が集まっています。住宅地なのにヘドロのにおいも含めて浜辺のようです

















 おそらく下水が壊れているようです

 車で帰って、レポートを書き直して(2つしかとれませんでしたが)、注意したほうがいい高齢者がいるポイントをつけた地図を出して、上がりました。
 この日はちょっと皆疲れていたようです。

 温泉に皆行ったようですが、僕は勘違いで間違えてしまい、空手をしていて行けませんでした^^;
 持って来てた大きいお手ふきをたくさん使って体を拭きました。

 夜は、少しだけ事務所のほうでダラダラしてましたが、11時ころに集会所に帰って寝ました。
 個人的に、この日が、4日間の中で一番印象深かったです。
 自分の中の石巻の「被災地」のイメージは今のところこの日のようです…。


 4日目



 7時過ぎに起き、今日は夜に帰るので朝のうちにちょい空手をしておきました。
 昨日までのようなヒアリング班か、配給の手伝いに入る予定だったらしいのですが、布施さんが被害のひどかった牡鹿半島を案内してくれるという話を聞き、そっちに行けることになりました。

 
 






 セカンドハーベストさんがフェア東北さんに協力していて、カラオケ屋の倉庫から2トントラックで配給物資を積み込みます (配ってるところは撮り忘れました…)

 半島に行く前に、個人宅に物資を届けに行ったりなど。
 フェア東北には、あちこちから物資要請があるのですが、細々と全部まわっていたらとても手が足りないので、その地区でまとめてもらっているやはり在宅避難者の人などに、まとめて物資を届け、分配してもらうのです。
 
 途中でセブンイレブンが小さな店頭販売だけやっていましたが、その500m先ではフェアトレ&セカンドハーベストの配給をやっています…。うーん…。
 みんな配給に行くだろうでした。
 あと、配給から2キロほど離れた小学校の校庭で、大々的に自衛隊が配給を行っていました。
 たぶん避難所用に自治体に届いた物資で、数が足りないで貯め込んでいたものたちをそこで一気に放出したのではと思います。
 他のNPOと連携とらないとその地区や他などの効率悪いし、その場所だけではもったいないと思うんですが…、これもちょっと微妙な感じの風景です。

 正午過ぎに牡鹿半島へ出発。
 「ボラに来る人たちには光景を見てもらって広めて発信してもらいたい」(布施さん)とのことです。

 行くついでに、集落でたった一つ残った家(そこに何世帯も寄り集まっています)に、簡易で入れるお風呂を持っていきます。
 ナノミストと言って、介護用に開発されたらしいのですが、超微量の水蒸気で、中に入ると岩盤風呂みたいにサラサラした汗で汚れがとれる(除菌効果あり・服着たままでも可)というすぐれものです。
 色々あって(自治体の不手際が因で詳しくは書きませんが、フェア東北は自治体の手の届かない、または手際が悪すぎたりどうかと思う処置をカバーしまくっています。それがほぼ全てです)フェア東北に「配ってくれ」と言って企業から寄贈されたものです。
 そこのお家は水道は止まって、山水を使っている状態ですね…(電気は来てる)

 
 ここから半島~女川の写真になります。

 






























 海沿いの集落エリアに入ると、こんなかんじの道が続いています。道だけは通れるようになって、あとは相変わらず瓦礫の山。通る車もほとんどありません。自衛隊くらいか。
 地図を見てもわかるのですが、牡鹿は本当に海のすぐ裏が山の地形です。
 一つ山を越えると、小さな港の集落があり、また山を越え、また小さな集落が…というかんじです。
 そこの一つひとつに、少しづつ、残って住んでいる人もいます。

 
 
 













 小網浜には布施さんの実家があります。この船の下に潰されてしまいました。幸い、ご家族は助かったそうです。

















 これも小網浜です。地元の漁師さんたちが瓦礫を整理したり整理したりしています。他には誰もいません

















 ナノミストのお風呂をお渡しする高台のお家に着きました。写真を見てもわかるとおり、この家以外は周辺すべて津波で流されてしまっています。

 

 










 組み立てたお風呂です。この中にすっぽり入って、服のまま(汗かきますが)入浴できます。電気と水1リットルほどあれば可。みなさん明るく接してくださいました。フェアトレ東北が信頼されてるなーと思いました。
 



 













 高台から帰ります。本当にすべて流されました。






 



























 最初は海沿いの広場かと思っていたら、住宅地があってすべて根こそぎ流された跡なのでした。谷川浜地区。










 半島は石巻の反対側、泊浜の在宅避難の子供たちに、おかし他、いろんな物資を持っていきました。子供たちがバルーンをふくらそうと遊んでいるところです。









 泊浜は、5月10日で避難所も閉まってしまいます。半数のお家は流されてしまっているのですが…。倉庫を改造して移るようですが…。配給も止まるのでどうしようもなくなって「持ってきてくれ」と言われたフェアトレさんが「1ヶ月だけなら…」と届け続けています。



 





 拡大するとわかるのですが、帰る道で子供がずっと手を振ってました。たぶん被災してヒマだったりちょっとさみしかったりなんでしょう…あとなんかガムとか絵をくれました。

 その後、女川を通って帰りました。
 













 

























 水位があがってしまっています。








































 女川は被害が有名ですが(もともときれいな場所だったのがさらにギャップでしょう)、”観光”スポットとか布施さんが皮肉気味に言ってました、まあ僕らも見に連れてきてもらったんですが。実際は撤去の車がぽつぽつとくらいしか通ってませんでした。

 4時過ぎに事務所へ帰りました。
 布施さん忙しいのにありがとうございました。

 











 その場にいた野郎ボラたちで撮ってもらいました。俺手突っ込むなよ…^^;;

 今日帰る人が何人かおり、長くいる仙台のボラの方に、みんな仙台まで送ってもらうことになりました。
 そんで皆で牛タン食い(定食で1200円くらいなのに、超でかい!さすが!うまかった!)、それぞれ別れて、夜行バスで帰りました。
 
 
 その他…

 
 仙台駅にて…ホームレスが何人もいました。
 「被災地」から帰ってきて、もう元通り気味の仙台にも、ホームレスはいる。
 支援に来た人たちは、ここを通っているはず…。
 皆何を思ったのだろうか。

 僕は、”支援”は「自分のしたい範囲でしかできない」と感じました。
 避難所や被災し自宅にいる人たちと、ホームレスたちと、どちらがどういう状況か…。

 今回のボラで感じたのは、最初、布施さんたちの「地元愛」なのかな?と思いました。
 「行政のまずい支援で割り食ってる人たちをほっておけない」と。
 それから「そういう人を地元で見てしまったのなら、やらないわけにはいかない」という気持ちなのだろうとも思いました。
 
 実際布施さんも「勝手にやってるんだ」と言ってました。
 自治体の人間を在宅の人たちや限界集落に道案内して、レポートをまとめ提出しても「何も行ってない」。
 だから勝手にやってるんだ、と。

 
 







 布施さん

 僕には故郷も地元もありませんが、僕らが被災して、ゲストハウスの路地に住んでいるおばあちゃんがとんでもない目にあってたら、動かずにはいられないでしょう。
 たぶん、そういうことが、石巻のフェアトレでも起きているのではないか。

 もともと、フェアトレ東北は、同志みたいなもんと思ってた感じです。
 ニート系で、補助金も使わず、パンクにニート米他作物を販売して収入を出し、既存の支援では手が回らないことを当事者と生々しく向き合いながら続けてきました。
 イベントでニート米10キロもらったってのもありますが、んじゃあ、仲間がなんか今、意気だし、それなら関心がある、というわけです。僕自身は。

 自分はニートです。
 今も、大家が障害者でモノが整理しにくい家の中、なんとか3畳ほどのスペースをあけてもらい居候させてもらってます。
 月収は、NPO活動をはじめた4年前から常に生活保護以下。
 正直「被災地」の様子を見ても、実際に当事者から話を聞いても「かわいそうに」とは思いません。
 申し訳ないですね。

 ただ、フェアトレが動くなら…、と思っています。
 被災とか、そういうのに関係なく、今彼らが大事な時で、命がけで取り組んでることがある、というのを東京にいるよりリアルに感じてきたわけです。
 それだけです。

 それをあらためて感じた”旅”でした。


 これからフェアトレさんにボランティアに行こうとする人には参考にしてもらえるとうれしいです。
 
 今回、僕の感じたところでは「当事者のことは、当事者が一番だろう」ということです。
 だから、お金なのです。
 もし彼らを応援したいと思ったら、こちらで継続して金を送れる仕組み(ニートの僕も無理をせずに)を続けることが一番なのでしょう。
 なんとなくですが。
 そうすれば、被災者をやとって、現地の支援等を続けることができる。
 そのうち、フェアトレのことですから、新しい事業でまくり返すでしょう。
 それまで。


 ボラの人は、今現在は、長くいれて、運転ができて、女性の方を一番募集しているようです。(ブログ参照)
 今回自分が見て聞いてきた、自宅で暮らしているおばあちゃんのお風呂にまわるためなど。
 それ以外もOKだとは思いますが、問い合わせてみてください。

 フェアトレは、今月中旬から、以前の利用者を呼び寄せて、従来の活動(ニートや障害者たちで販売できる作物を皆で作り自立を目指す等)を再開するようです。
 そちらに労力を割けれるためにも、これからが大事なのでしょう。

 そう、これからなのさ。


 布施さんをはじめ、NPOフェアトレードのみなさん、ボランティアのみなさん、ヒアリングさせてもらったみなさん、ありがとうございました。

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