2011年3月18日金曜日

僕は「動かない」

 災害から1週間、ニート米の布施さんは無事だった。
 正直なことを言うと、被災のそのことだけが心配だった。
 あと、ニート米を作った人たち。
 
 布施さんは、ツイッターでも書いているが、親族が多くなくなられたそうだ。
 彼は、被災者というより、もちろんそうなんだけど、ずっと一週間様々な施設をまわっていたそうだ。
 被災しながら、最初から支援側だったという。

 僕のスタンスを考える。

 毎日、ツイッターで様々な情報や「こうしたほうがいい」が流れてくる。
 自分は、地震の影響で、計画停電が完全正常するまで、子供空手の仕事はなくなる。
 あと、レン空の一部も。
 これで、収入のほぼほとんどは、なくなる。
 子供空手は、可能なら4月から公園ででもいいからやろうかとも思うが、収入がほぼ無いことには変わらない。
 以前から考えていたことだが、知り合いの所に居候させてもらうことにした。
 吉祥寺周辺だ。
 ハウスを出される、ということもあったのだが、こうなってみると、もう、どこのハウスでも家賃は払えない。

 大変な、宮城やその他の情報が流れてくる。
 僕のTLは社会貢献に意識が高い(高すぎる)人が多いので、皆何か募金のシステムを作っていたり、自分たちなりの支援を進めていたり、中には、トラックで乗り付けて物資を持っていっている人もいる。
 もちろん自分の活動を進めてる人もいる。

 僕は正直焦った。
 自分にも何かできなものか。
 というか、しないのもどうかなのでは…。

 だが、自分は正直東京難民で、正直、被災地から東京に避難してくる人と、ほとんど(空手をやってること以外は)変わらない。
 そういう身分だ。
 車も、ガソリンも、募金する金すらない(本当に、ない。もともと生活保護以下な上、今月の収入は半分以下で、次月はほとんど無いのだ)

 かなりウツになりながら、僕は思った。
 
 『なあ、自分は、リビアの人や、北朝鮮の人たちが、今この瞬間に死んでゆくのを”助けなければ、自分が動かなければいけない”と思ったか??』

 思ったことは無い。
 今回この災害でも、実はどこか、布施さんや、ニート米を作った人たち以外は、どこか、実感がわかない。
 
 人が死んでゆく。
 だけど、今まで、自分のまわりで死んでいった何人もの人を助けられたか?
 否。

 自分は今、彼らを「助けたいんだ!」と一方的に動くことをしない。
 それは、今までの自分の、数少ない、貧しい「支援」から学んだことだ。
 自分には、自分の分がある。

 そして、放射能がどうたら、毎日聞きまくるが、僕は動かない。
 それは、布施さんたちが、実際に「被災」してもすぐに他の人のサポートにまわったのと同じように、もし、東京に集団疎開令が出たとしても、自分は、最後まで、逃げにくい不自由な人などの手伝いをしてからにしたいと思うのだ。

 これは、また変わるかもしれない。
 また勝手に頭の中でおびえたり、状況も変わるのかもしれない。
 へタレだから。
 そして「不謹慎」だとも思う。

 だけど、これが今の、NPOシゴトノアトリエ代表=自分 のスタンスです。

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