2010年2月4日木曜日

社会起業家こそ格闘技を(深夜の妄想)

 ツイッターで、長く書きすぎたので、こっちでまとめてみる。
 (最近は、完全にツイッターに移行してます^^;)

 ていうか、なんで1/31にアクセスが537もあるんだよwwwwアク解見てないけど2ちゃんなのか??w


 本当は、先進国の”貧困”っていうのは、金じゃない。
 とくに日本は、互いに対する関心の薄さが生きづらさにつながってしまう。
 途上国は「希望」があるかもしれない。
 こうすればお金がもうかる!っていう希望が。
 だけど日本は「希望」では動かないかもしれない。

 湯浅が生活保護を増やしたところで(その姿勢自体が大問題なのだが、それは今おいといて)、彼らの”貧困問題”は解決しない。
 新聞は「生活保護受給、その後」まで取材してほしい。
 マザーテレサは「心の貧困」と言った。
 「愛の反対は、無関心」らしい。

 僕のところには、生活保護を受給しながら「運動、格闘技をやりたい」という人が何人も問い合わせてくる。
 たいがいは、お金の面でぽしゃったり、途中で続かなくなる。
 彼らは皆、孤独で友達がいないか、少ない。
 この状況でいいはずないと思っているが、このままでいるしかないと思っている。

 本当に生活保護で満足していたら、自分を高めようなどとは思わない。
 少しでも這い上がりたいし(何に?それは自分自身や、周りからの評価だ)、少しでも社会とつながりたい。
 自分と向き合える人が欲しい。
 僕はよく誤解されるが「スーパー援助者」ではない。
 彼らと同じだ。
 だからわかる。

 「格闘技を行いたい」とは「人とつながりたい」と同義だ。
 たぶん。
 少なくとも、僕の所に来る人は、無意識に「強くなりたい」を「人との関わりをスムースにさせたい」という期待にしている。
 「だから当事者に格闘技を!」とは言わない(すでに言ってる)、むしろ、社会起業家こそ格闘技だろ。

 夢を見る。
 皇居マラソンでは、社会問題当事者と、社会起業家たちを一緒に走らせるが、社会起業家と、当事者が、二人リングの上で殴りあってこそ、本当に社会は変わる。
 名前を「NPOナグリバ」(カタリバならぬ)にしようかと思ったくらいだ。
 いつかそういうイベントでもやりたいものだ…

1 件のコメント:

  1. 例のアクセスは「ニートのための完全家出マニュアル」がどっかツイートされたかなんかでした。
    http://nofuture1979.blogspot.com/2009/05/blog-post_6811.html
    はてなからもありました。
    2ちゃん以上だな、ついったー…

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