2016年9月29日木曜日

社会不適合者のImagine

想像して 合わせなきゃいけない決まりなんてないと
やってみれば簡単
したがわなければいけない決まりなんてなく
あるのは自分の意思だけ
想像して 無理やり合わせられることなく笑顔で生きているすべての人々を

想像して やらなきゃいけない仕事なんてないと
難しくはない
がまんすることも、知らない誰かのためにお金を稼ぐなんてこともない
そして納得できないルールもない
想像して 自分自身が大好きで満足して生きている人々のことを

非現実的だと君は言うかもしれない
だけど、僕は一人じゃない
いつか変わろうとすることこそが現実となって
日本は元気でいっぱいになると願う

想像して 自分だけが幸せになれることはないと
君はできるだろうか
愛されたいがために支配や暴力を行使することもない
敵こそが友だち
想像して 自分は死んでも子どもたちは生きてゆくと、未来のために切り開くすべての人たちのことを

いつか君たちが僕たちと握手してくれることを願っている
そして、心は一つとして生きていくだろう


2016年9月28日水曜日

遠藤一は(2016.9Ver.)

遠藤一は

思わぬやりたいと思えるアイデアが浮き出てくる
淡々と、けれど楽しく一線級の空手稽古をし続けられる
自分のことに頭をおかずに目標、そして相手のことを考え声をかけられる
いつも思わぬ新しい、やりたい、自分からしたい!と思えることに向かって動き続けられる
自分のときめきを第一優先に置き、実際にし続けられるアイデアが浮かんでき続ける
しようと思うことに自分の力が足りなかったら、ためらわずに断られることもコミュニケーションと思って人に頼もうとすることができる
楽しいことを自分で作り出せる
相手が欲するものも考え想像したずねる、それをふまえ交渉することができる
周りの人皆を笑顔にすることができる
やってからそれに対して反省することができる

あとは書いてるうちに忘れました!
またつけたしていきます(きっと自分の中で)


2016年9月14日水曜日

自分の反省を書こうと思う

自分はどこか上からで、それでいて動いてくれればいいなと願う依存主義だったと思う

たとえば、8、9年前に社会起業を取材し世に出そうとした
実際コンビニに並ぶ雑誌等にも載せた
他もそうだ、鬱と運動、格闘技との関係、また社会問題当事者の起業や活動など、「皆こうなってくれればいい」と思うものを載せた
しかし、それは啓蒙的で他者依存的に過ぎなかった


誰か自分以外がやればいい、よいように感動して動いてほしいと

実際事業を起こそうとした時もそうだった
自分に何の経験もないのに、集まってきた人らに「こうすればこうできるはず」と動かそうとした
どこか甘えていたのだ
自分が本当には動かなくても、旗を振り見せるだけで他は動き変わっていくだろうと

結局すべて何も変わらずライターとしてはモチベーションを落とし、事業運営としては実質数ヶ月で分解、その後補修の目処もつかず口だけでダラダラやり挙句完全にストップした
振り返りやり直しの仕方すらわからなかった

傲慢でうぬぼれていて、そのくせ自信がなく他者依存的だったと思う
そうでない自分の理想とのギャップが自分を苦しめた

だが方向としては間違ってはいなかったと思う
反省を認めるのに何年もかかったが
もっと汗をかき恥をかいてもおそれない、いやおそれても泣きながらみじめでも自分で動く人間になりたい

私は本当にバカだったと思う

2016年4月4日月曜日

「ひきこもりの味方」の嘘くささ

「傷ついた」TVタックルひきこもり特集に経験者ら異議

あえて言わせてもらうけれど、斎藤環氏や工藤啓氏など、「世間にだけ評価を得ている」ひきこもり界隈の識者、支援者たちがこんな会見をしたところで、嘘くささしかない。
彼らの言ってるのは、直接的な暴力による支配は許さないけど、薬を脳にぶっ込んだり、当事者たちの未来が就職しかないからそれに当てはめるようにと上から就労活動をさせる、脳や価値観の支配はオッケーだということだ。
まるで大組織のインテリヤクザが、はねっ返りの半グレを潰そうとしてるみたい。
それよりいやらしいね。「正義」みたいな顔をして。

「ひきこもり経験者」とやらも、どうしてここに顔を並べてしまうのか。
柔らかい顔をしたソフトな支配のほうが居心地がいいのだろうか?
「ひきこもり」のことを「弱者」だと見たりかばうほど共依存になる。
イネイブラーに加担するのか?そんなダブルバインドな世間が嫌でひきこもったのだろうに。

本当に声明すべきは、こうではないのか。
「TVタックル!私たちのことは放っておいてくれ!そこの斎藤環もだ。私たちは、自分が助けを欲した時に自分から、声をかけたいと思う人に助けを求める。
幸せの形も未来の形ももう勝手に決めるな、ウンザリだ。
『社会的ひきこもり』と病理カテゴリ化させた本人が今さら批判とか、片腹痛いんだよ。
ひきこもったっていい、自殺したっていい。
それでも!
もしも現役ひきこもりが、腹の底から『生きたい』と助けを出した時、先に『脱ヒキ』した私たちは、声をかけられるに選ばれる存在になっていたい。
そしてそんな人が多くある社会を作っていきたいんだ」

全関東結果と今後

http://shinkyokushinkai-kimotodojo.co.jp/
全関東でした

二戦目負けしました
相手はjfkoの三回戦でやった大阪の選手で、今回も延長で負けました。
基本ステップ使ったパンチローで、まとめる時は重心上にしてのパンチヒザで押し込もうと思ってたのですが、本戦はそれでいけたと思うのですが、延長で足が止まったと思います。
ステップか、ローか、ヒザか、どれもつかずの(欲張った?)中途半端さが出たと思います
相手はパンチが強くなっていました
がんばってほしいですね
(今回はiphoneの容量不足で動画が撮れず、ありません)

これからはちゃんとステップを磨いていきたいです(その上のロー、ヒザ)

これで、少なくとも今後一年、ちゃんと練習して試合に出るということが、しばらく最後になると思います
自分の仕事と生活、体調の立て直しに使うと思うからです
主に仕事です
jfkoも、ちゃんと練習できなくなるだろうと思い、断りました
今年は、出ません
みんながんばってほしいです

今後、練習が選手稽古週一回、出れて2回になると思います
もちろん、時間を見つけたり、自分の指導の中でもやっていきたいと思いますが、道場でのマックス練習は、そうなります
もちろんその限られた中でより集中してやっていきたいと思いますが…

いちおう、先生にも相談して、練習時間は仕方ないけど、試合自体は出れる範囲出ていければとは思います
6/5(日)の関東飛翔大会 所沢市民体育館
http://seishin-kaikan.com/第8回関東飛翔空手道選手権大会/

6/19(日)のjkjo全四国 香川県 善通寺市民体育館 (例年のように交通費を支給いただけるなら)
http://ryushin.server-shared.com

になります
出来る限り精一杯がんばります
生活も、試合もです

https://youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=QIympofAEvo
(途中まで)

2016年2月28日日曜日

ユーラシアカップ負けました

全然更新していませんでしたね
この間に確か11月にジェーケージェーオー全日本と、12月に無差別の試合に出てます
--
二戦目負けしました


一戦目は昔色んな大会で優勝等してきたベテランで、パンチ主体できたので、まわって胸パンチ主体でいきました

二戦目はトップシードで今現在とても色んなレベルの高い全日本を獲ってきている選手で、ステップ多用するイメージがあったのですがガチ気味で来たので通常通りいきました

前へのステップで踏み込んでくる直突きが強く、ヒザからのフェイントなどできて最初はびっくりしましたが、だんだん慣れてきたのでそのままいきましたが、前に出る時の相手を逃さない押し込みがうまかったです
サイドにまわりながらこれもパンチ主体でいったつもりでしたが、終盤蹴りがほぼなく、余裕がなくなってたかなと思いました

悔しいですが、中量級にあげてはじめての中量で、このレベルとできたので、なんとなく中量でもいけるかなとも思いましたが、負けてるし油断は禁物ですね
どうも負けてしまいすみませんでした
4月の新極さんの全関東に向けて、これを生かしてがんばりますm(_ _)m
パンチのもっとステップに乗せた、当たった時の重さと、前へのステップも時には
後はアドバイスいただいたのですが、蹴りからローなど、相手の動きを止めてからのロー-蹴りの連携をがんばりたいです

一戦目

二戦目

2015年12月27日日曜日

レンタル~の養成講習をするとしたら



レンタル空手家は、くすぶっていましたが、その間、何人か代わりに教えてもらったり
伴走稽古者志望の人たちと会って実際にやってもらったりして
まったく得るものがなかったわけではありませんでした

自分は個人的に、レンタル~(格闘技系でもスポーツでも可)には講習がいるなと薄々思っています
もちろんそれは、それぞれやってきた人たちに対して、えらそうではありますが
やはり、普通の道場やジムで、ただ一緒にやったり教えたりするのとは
「相手」が違うのです

彼らは、ある種重いトラウマや病状的な自信の無さ、自分では何ともできない衝動性や落ち込みを持っていたり、発達障害と鬱が絡んだ人も多いっです
道場やジムには、(少なくともその状態では)やって来ようがない状態の人たちなのです
なので、目的も違えば、「常識」も違います
10年引きこもっていて、「強くなりたい」とベタに思える人はいません
自信の無さと周りからのプレッシャーで徹底的に押しつぶされてきたからです

一見、身体には「障害」や「制限」が無いように見えて、もっとがんばろう!と(普通の人ならやる気の出る範囲の)若干の無理をかけさせると、彼らにとっては、ベンチプレス100kgに相当する場合があります
捻挫や怪我をするのです、身体ではなく、精神に

「弱者」とことさらに見るわけではありませんが
道場やジムに来る初心者とは、まったく違う人という認識が必要だということです

(実際、自分のやり方も問題があるのでしょうが、「卒業」して、他の道場に入り、ある程度までいった人はたった一人
他、自分の道場にも来た人もいましたが、一月で消えた人と、1年だけもった人のみでした
中には、ものすごく熱心ですが、幻聴や身体の後遺症などで、一般の道場には馴染みにくいだろう、という人もいます<もちろん、そういう人にも親身になってくれる道場もあるのは知っていますが>)

講習、といったのは、どう行っていいかわかりませんが
たとえば

1・強くしようとするな
2・大丈夫です は大丈夫じゃないと思え
3・一方的に目標を決めるな
4・自助グループのつもりで行け
5・最初の5回は、稽古よりもおしゃべりが多いくらいで良し(一方的にしゃべってても可)

みたいなものが、ちょっと思いつくだけでもあります

つい、自分も、普通の人や子どもに教える時のようにクセが出てしまいます
だから、自分のためでもあるのですが

1は、「強くなりたい」と言ってくる人は、まずいません。言える人は、道場の門を叩けるからです
無意識でそう思っていても、「自分の強くなった姿」は、ある種受け入れにくいものでもあります
どうせ、続けていけば強くなれるのです
だから、最初は「安心感」(ここで稽古していても、何も否定されない)、そして「日常でのわかりやすい変化(毎日走るようになった、ご飯を食べるようになった、笑えるようになった等)」を、念頭に置いた方が、全然やろうと思えるのです

2は、苦しそうだったら、最初のうちはとにかくストップを入れてしまうことです
それも、「体力の無さでストップした」と思われないような
これは色々慣れてくるとやり方があります(教えてる人はわかると思います)

3は、自分の気持ちを言えない、もしくは本当にわからない人が多いということです
だとしたら、「僕と毎週会う」くらいでもよいのです、一ヶ月の間くらいだったら
意外と、目標を頭におくより、最初のうちは続けて習慣になることが、本人の満足だったりします
「したいこと」「なりたいこと」を聞き出せないのは、こちらがまだ信用されていないこと
こちらをまずどんどん開示して、自分のことしゃべり倒してください

4、5はそれにまつわることで
4は、できれば教えるのはメンタル系に自分も思い当たる部分がある人がよいのですが、そうでなければ、居酒屋でグチりあう、みたいなノリでかまいません
僕など、いきなり会った瞬間に「もう今日超死にたいんだけど」とか言ってしまいます
実際死にたいからですw
日常にまつわるグチ、弱い部分を聞いてくれる人として垂れ流し、相手が自分から言ってくるのを待ちましょう
それが、「自分からいく、攻撃」のきっかけだったりするのですから(最初は本気で殴れない、声を出せない人もいる)

5もそういうことで
「よーしこいつを強くしてやろう」
というのは、おかど違いというか、いかに伴走者が
「ダメで」
「自分を出しても否定されなそうで(説教しない)」
「共感を得られそうか」
ということです
そのためには、格闘技やスポーツの技術自体は二の次です
とにかく「相手生徒はカウンセラーだ(自分が、ではない)」くらいの気持ちで
こちらから信用し、頭を低くし、こちらがリラックスしてしまうのが一番よいということです


いっきにダラダラ書きましたが、普段教えてる人にとっては、若干の応用だと思います
ジムや道場の生徒の中にも、「問題児」だらけだからだと思うからです
それに一段低くして、「何も期待しない」レベルまで落とせるような
ヒキやメンヘラの人たちを好きになれるような
そういう講習を作れればいいなあとは思いますが
まだ先の話だとは思います

2015年6月18日木曜日

21日全四国出ます@善通寺市民体育館

http://ryushin.server-shared.com/

一般男子無差別上級 (紘/史 名義)

トーナメントを見ると、見る人が見ればわかると思うのですが、かなり実験的というか、歴史的?な大会になっています
これからこうなっていくのでしょうか
素晴らしいことだとは思いますが

その中で!!
全力でがんばってきます!!!!!

2015年5月21日木曜日

2015年4月2日木曜日

4/5(日)新極真さん全関東(横浜文体)出ます

http://shinkyokushinkai-kimotodojo.co.jp/

第20回オープントーナメント全関東空手道選手権大会

開催日時
2015年4月5日(日) 8:45開場/9:30開会式

会場
横浜文化体育館(神奈川県横浜市中区不老町2‐7)
JR京浜東北線 関内駅南口より徒歩4分、横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町より徒歩4分

一般男子 軽量級 遠藤(紘/史)芦/原/会館西/山/道場 です

よろしくお願いいたします
がんばります!!

2015年1月13日火曜日

進路に悩んでいる

(オチはありません)

自分は本気出せば、ライターの中でももう少しいい所いけると思っている。
その「本気」とは、精神的体力的に、調子のよい若干イケイケながら、安定している時だ。
だが、自分は、空手の稽古で出し切らないと、鬱や考えてしまうことをどんどん抱えて、身動きがとれなくなってゆく。
それも「健康のため」みたいなレベルではない。
徹底的に追い込んで息を上げて「これ以上できない」と一人では思うところを、さらに限界を超えて終わらなければスッキリ自分と出会えない、そういう類のものだ。

それでやっと、その日と、次の日スッキリと精神的に日常を動ける。
しかし、それはものすごく体力を削り、体力以外もエネルギーを注ぎ込むことだ。
トップと一緒に行うメニューの選手稽古なので。
それで、満足に日常フリーのスケジューリングが守れず、外に出す仕事のエネルギーも、稽古に持っていってしまう。

自分は35歳になった。
もう、ライター業で結果を出すとしたら、ラストチャンスの数年間だろう。
しかしそれと同時に、フルコンタクト空手の、結果を出すのも、同じ時期にまるかぶりだろう。
自分がこの時期、何年か離れて、戻ってきて一線に復帰できるとは、とても思えない。
ぶっちゃけると、数ヶ月、でもだ。

だが現実問題、ライター業に集中するといっても、空手で精神的に安定、ポジティブにさせない限り、絶対にうまく進むことは無い。
それは、今までの経験でものすごく味わっている。
だから、選択肢としては

・完全に空手ではなく、他の「一線を張らない(フルコンタクト空手では完全に全日本クラスになってしまっている)」競技

に趣味として行い、精神の安定を保ちライターをする。

キックやボクシング、打撃系のあるフルコンタクトはまずダメだ。
絶対に試合したくなってしまう。
結局は自分は、戦いたいのだ。
じゃあ柔術などか?
だが自分は打撃がしたいのだ。
人を殴り蹴り倒したいのだ。

マラソン、ボルダリングなど個人でできるスポーツ…。
それやるくらいなら空手だろ???

・空手の強度を落とし(一般の試合からは外れ、もしくは高レベルでない試合には出る程度に)、週2回、スパーリングクラスだけ、とか(だいたい同年代の元選手とかも、そういう方向にいってる)

だがさっき書いていてわかったが
自分は戦いたいのだ。
どうしても。
自分の中にある、納得いってないものが、全力の世界に自分を持っていけと、胸の中から呼び起こすのだ。
そうだ。
だって今ひいたら、今妥協したら、自分の死んでいった友だちたちに顔向けできない!!!!!

なぜそうなるのか、よくわからないし、死んでいった友だちたちだって「遠藤くんの好きに生きろよーもっとラクでいいんだよー」と言うと思う。
だけれど、自分が戦う時は、根本的には、何を思うかというと、自分の周りのつらいやつのことや、そういった無念のやつらのことだ。
もう本当に、何かわからないけれど、胸の中の下のほうから
「まだ全然果たしてないんだよ!!!」というものがせりあがってくるのだ。

自分は強くなりたかったのだ、なんというか、納得がいかないこの世界に、身一つでブチ当たるという原点無しには、すべてが嘘くさいし、強くなって、彼らに圧迫していた現実の、なんというか、倒して納得いかないと、ブチ倒して、上から見下ろして、やっと「こういうやつだったのか」と納得いかないと、逃げている気がするんだよ
痛みが、彼らの受ける痛みを、僕は身体に実際に受けて、それでも、圧倒的にその相手より強い力を得たいんだよ

よくわからないけどな

・空手の強度をそのままに(だがいつまでもやるというのではなく、期限を決め)、なんとかその期間、思い切り日常にも整理、集中して、ライターとしての業も同時進行で、他のものは全て捨てる期間で、行う

はっきり言ってこれしか思いつかない
結局こうなる

もう他の選択肢は
「・このままダラダラ同じように、ライターも中途半端で、空手も悩み嫌いやながらやる」
というのしかない、これは、選択肢とはいえない(現状維持→マイナスだから)

5月に一番大きな全日本がある
それに全て怨念も憎念もぶつけ、出し切るつもりで、後悔ないようにくらい、練習しよう
そして、同時進行で、ライター業も、キャリアとなるくらい、先に(空手をやっていなくて調子がよいという条件と同じくらい)やっていこう
それから、生活を維持できる暮らし

ただし、他のことは全てドブ捨てだ

だがこの選択肢は、実は自分が今まで何度も何度も決意したものだった
本当は、最初は32歳のウエイト制だったし、直近ではハンガリーの大会だったりした この前の11月の大会だったりもした

だがそれくらい命をかけて望めていただろうか?


迷う、進路に迷う

自分にとっても進路の意味は、本当は覚悟の強さ、深さ、なのかもしれないが…

いったいどうすればいいのか、今日も目先の仕事をこれからも行う


■追記:
・完全にライター業などは二の次にして、とにかく次の集中するその試合に賭ける!という試合にその期間だけは集中する

というのもあると思う
だがこれは、実はもう何度も何度も何度も何度も行っており、しかも、空手だけに集中すると、自分のほかの生活が空疎すぎたり、もちろん収入もか細くなりすぎてしまい、結果的により栄養失調や、鬱になるのだ

だから、いつも残るのが、上に書いた最後のやつになる

2015年1月11日日曜日

1for1マラソンと武道(スパーリング)

昨日ははじめて自分も1for1に走ってみた。
相手は元自分の生徒で、入院などしていてブランクがあるうちに運動をしなくなり、鬱ってきたので参加を申し出てきた。

彼のペースは自分よりも早い。
自分は、気持ちよくゆっくりずっと走る、というペースが、ものすごく人より遅い。
登山などでもそうで、よくびっくりされる。

ずっと彼に先行されていたので、「ちょっと落としてもらえないかな」と言ってみた。
実は、自分のラクなペースをゆるめ、遅いほうにあわせるというのは、実はきついのだ。

ぶっちゃけると自分のほうが体力があるので、「遅くしてもらうと、キツくなってしまうので、(余裕のある)自分が早めて彼に合わせたほうがいいかな~」などと思ったが
この1for1マラソンのルールは「遅いほうに合わせる」
なので、彼に合わせてもらっていた。

自分も身体があたたまり、もう少しあげてもいいかなーと思い(2km弱くらい?)
「Sさんのペースに合わせますよ」と言って、スピードを上げてもらった。

それでも、実は解決ではなく
「運動不足の彼のペースは変わることもある。スタート当初のペースを維持しようとしていると、余計にきつくなってしまう」
からだ。

だから、彼のペースとはいえども、無理してないか(僕のほうが体力があり、ついてきてくれることがわかっているから)ということを、なんとなく気にしていきながら、自分は走っていきたいとは思った。

息の乱れ方とか、会話の調子とか、手のふるえとか

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僕の知っている格闘技をやっている方で、自宅を開放してスパーリングの機会を作っている方がいる

それは、色んな総合からテコンドーまで様々な人が集まって、決して相手をケガさせることなく、相手の技を楽しみ、それによる自分の技も楽しみ、化学反応を楽しみ、楽しくスパーリングする
1ラウンドが終わったら、それぞれの良いとこをほめあい、気づいたこと感じたことを報告しあう
連続せず休んでも全然大丈夫な雰囲気で、はじめて1,2年の人から、ジュニアの選手、世界レベルの人まで様々な人がいる。(自分は取材で数回見学、体験参加させていただきました)

僕はそれを思い出して、1for1は、スパーリングでありたいなと思った。

本当の試合では、同意の下に、相手を信頼し、相手を倒しにかかる
本当の社会では、自分も相手も本気を出して、様々なかけひきで競争しあう
それは、よかれあしかれ、真実で必要なことだとは思う

でも、それがいつもでは、いけないし、身体も心ももたないと思う

スパーリングが、楽しさや、強く進んでゆくきっかけにもなる 必要なことでもある
相手や自分へのリスペクトや気づきは、決して常にガチの状態ばかりで得られるとも限らない

1for1に慣れていない人は、自分のペースのほうがラクだから、そのまま行きがちだったりもする

とくに、いつも一人で走っていたり、はじめて1,2年とか慣れていない人は、そうなりがちだったりする

けれど、このイベントは、「自分と相手が両方心地よい距離・ペース」を走り始めてから模索しあい、作り出してゆくものなのだ。
それは、決して楽しいだけではなくて、体力のあるほうは、遅いほうに合わせる疲れ、体力のないほうは、(いつもの社会でのクセで)一瞬の申し訳なさやためらいなどがあるかもしれない。

けれど、この1for1マラソンのルールは「遅いほうに合わせる」なのだ。

これは、相手を決して傷つけることなく、力量の差があっても、その人それぞれに、自分の糧になる部分や面白さ新鮮さを見つけ、笑顔で組手し、終わった後も語る、スパーリング、武道的なものだとも思う。

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1for1マラソンは、「競争」のアンチで、「競争」の下地にあるもの。
当然、競争は大事だけれど、試合だって、互いの同意がなければ成立しない。

競争より前に、お互いが楽しく心地よく、どちらにも負担の少ない、かけすぎない、そんな身体の使い方で、5kmだけ(体力あるレベルは10kmとかもっと走ってよいが)走りきろう、という、そんなイベントだったのである。


2014年12月14日日曜日

故「ニート 無職 集会所」

今日、試合があって、元ニート仲間が応援に来てくれて、終わった後でご飯を食べて少し話しました。
(試合は応援してくれたおかげで優勝できました ありがとうございました)

何年も前、2ちゃんのVIPのスレに「ニート 無職 集会所」というsageの常板があって、僕は書き込んではいないのだが、そこからstickamやブログをやりはじめた人が続出し、彼らとオンオフで交流を持つことになった。

今日彼と話していて、今から思えばだが、僕らの息苦しさは「中途半端な、もしくは自覚していない障害と名づけられるもの」かもしれないと思える部分があったかもしれないと思えた。

それは、元々「ニート」や「ヒキ」という問題があるというよりは
ADHDやアスペルガー傾向、依存症の無自覚、また統合失調の軽度だったり…、 そういったレッテルや名前をつけられることから外れた、拒否した、または無自覚でい続けている、そういった潜在性のある人たちがよりどころもなく集まって「ニート」のような名づけや状態に流れてきた、そういったようなことを思えるのだ。

今から思えば。

本当の問題は、自分がダメなことや社会がクソなことというより、(もちろんその両方を良しとしているから、意識が高いとかでない、普通のねらーたちなのだが)、そういった特性?のようなものを、自分自身でも、社会の中でも、誰にもどこに受け入れられていない、そういった孤独の特性を持った人たちの集まりだったような気がする。

自分でも無自覚だったり、認めたくない
「だって、だからといって認めたところで(病気や特性)、ますます悪くなるばかりじゃない(弱くなる)」と言った人がいた。
そのとおりだと思う。
現状、苦しみと孤独を抱え続けるのだ。
どこや誰のせいにしきれるわけでもなく。

今、何年もたって、社会にまぎれている人もいれば、いっそう悪くなったりして閉じこもりや音信普通の人もいる。
孤独とは、自分とも社会(他人)とも繋がれない、認められないことなのだ。

そういった寄る辺のなさがわかるからこそ、一時僕らはたまっていたりした気がする。

何もかも中途半端な障害や特性を持った自分たちは、偽らなくては存在するものとは認められない。
だから、ねらーたちは匿名だったし、いつも仮面をかぶっていて、人の前ではよく笑った。

今だから思う。
この中途半端(な生きぐるし)さは、誰が悪かった、いのだろうか。

意識なんて高くないし、自分がイノベータブルに走ろうとも思わない。
そして結局いつも思うのだ。

自分(たち)が作るしかないのだ。
それも、一人ではなく、敵(すべてを受け入れるわけではない社会)と繋がりながらも、そういった
稼ぎ方
生き方
つながり方
楽しみ方
コミュニケーションの仕方


目もくれないような小さな隅かもしれない。
けれどそうでなくては、社会に絶望しながらゆっくり死んでゆくことになる人たちもいる。


2014年9月17日水曜日

新極真埼玉県大会出ます 12/14(日) @入間 

これも毎年ですが、年末の新極埼玉出ます。
今年は、年に7試合と、少ないほうだったと思います。
(いつもは年10~12とか)

これは70kgなので、とてもちょうど良いですね…!
これも去年は一回戦負けで、体重別になってから勝ちあがれてないので、がんばりたいです。

第5回埼玉空手道選手権大会 (新極真)

平成26年12月14日(日) 開会式 10時 試合開始 10時半
入間市武道館
一般上級軽量級(70kg未満)
遠藤紘史

試合続きまして、先ほどのブログでは書いてててんぱりましたが、どういう状況でどういう条件の何がきても、淡々と向かい合い、こなしたいですね。
冷静に、その時その時、ベストをつくして。

応援お願いいたします。

第6回JKJO全日本出ます 11/21(土)@代々木第一

決まったので出します。

http://karate-jkjo.jp/top.html

平成26年 11月22日(土) 開会式 9:30
国立代々木競技場 第一体育館 入場料1000円

一般男子軽量級(65kg未満)
遠藤紘史

去年は一回戦負けしました。
JFKOの軽量級がズラっとJKJO関連が上位を占めたように、JKJOの軽量級も高いレベルになると思います。
だけど自分もJFKOファイナリストにはその2ヶ月前に勝ってるということを胸に置きつつ、軽量級に望みたいと思います。

65kgはいつもきついのですが、今回、2ヶ月前の今にすでにあと1キロ落とせばいいとこまで落としています。
(普段体重で67,5弱くらい 練習後に66くらい)
これを練習後に65切らせれば、前日軽量でサウナ1時間弱入って落とすだけになります。
トーナメントや、延長戦の多い戦いになると思うので、グリコーゲンは切らせたくないんですね。
なので、すでに落としてしまって、(今は追い込みで遅れをとるくらいきつい)そこから慣れさせ調子をあげていきたいと思います。

おそらく、自分以外、北海道のS選手あたり以外は、全員高校生、大学生くらいの年でしょう。
そこで回転と威力の打ち合いで上回る練習をしていきたいと思います。

応援してください。

 --

とはいえ…
この前の日記で書いたように、もう仕事中心のペースにしていきたいのだが、これを書いてふと気づいてしまったのだが、この、また試合に視点がいくのはもうやめるはずだ…!
仕事中心でいくぞ…!
ああ

 --

帰りに銭湯につかっていて、この12年同じようにきつい追い込みをやっていて、もうずっと残っているのは、もう自分一人なのだなあとふと思った。
だけど、自分に戦う理由がある限り、一人でも戦い続けるのだと思う。
でも、皆と支えあって、がんばっていきたいよ!
 

2014年9月10日水曜日

これからのこと

ハンガリーの大会ですが、一回戦負けしました。
アウェイなのはわかりきっていたのですが、それでも慢心というか甘かったと思います。
本戦で足を効かせて、場外にも出して押し切って終わったつもりが、まさかの旗1本。
気をとりなおして気合入れて前に出てロー中心で組み立てていってもまた引き分け。
最後、ローにも集中しきれず、相手の押し胸突きでラスト数十秒で押し切られたのかなというかんじでした。
本当に甘かったです。

この試合の後、どのように生きるかはなんとなく考えてはいました。
そういう所も甘かったかもしれませんが、生活に押し切られすぎて、すべてを捨てる気持ちは持てなかったと思います。今も。

今後、空手人生は変わります。
今までの試合に対する姿勢は、もう消してゆきたいということです。
レンタル空手家は、選手で居続ける限り、続きます。

これからのことは、このブログや、ツイッターなど、今までほぼ更新していなかったのですが、そこでお伝えできるかな?できないかもしれませんが、今までより使うかな?
というかんじになると思います。

我を通すということだけではもうできないと思います。

ありがとうございます。
今後のことが、更新できればよいですね。


2014年9月3日水曜日

9/6ハンガリーでの国際大会と今後のこと

9/6(土)ハンガリーにてマス大山メモリアルカップ(新極真会 ハンガリー支部)に出させていただきます。
http://www.shinkyokushinkai.co.jp/masoyamamemorial/
4日の早朝に発ちます。
全員世界大会(新極さんの)レベルなので、大きなチャンスを頂いたと思って気合を入れて戦ってきます。
必ず入賞します。

ところで…。
この夏は、自分は空手の稽古と指導(営業・広報も含む)、そしてレンタル空手家の拡大準備やライターの企画など、完全に空手と仕事(金になっていませんが)だけやってきました。
あと家事、猛暑の中の練習と体調整えるため、無理はできない生活と食事。

それだけです。
他には何もありません。
一日おきに追い込みの日を作り、その前や終わった後に、近所にいくつか自治体や社協系のタダで使える部屋にノーパソ持ち込み作業。
一日置きの間は自主トレか指導、そして仕事作業。
ずっとフラフラしていて、こんな日がずっと続くのかと思っていました。

そして、そうなのかもしれません。
フルコンタクトの空手の練習というのは、格闘技なので、技やテクニックなどの前に、常に、爆発的に何分も持たせられる体力が必要とされます。
その体力を減らした時、おそらく選手は選手でなくなってゆくのだと思います。
常に、そのレベルを保った上で、身体バランスやテクニック、そして気持ちの支えを作ってゆくのだと思います。
そして、自分は試合生活12年ですが、それ以外の余裕は、どんどんなくなってゆきます。
削って、削って、削ってゆくのです。

どこまでいけるのだろう、と思っていました、夏の間ずっと。

自分はもともと何のために空手を行う、というか試合に出続けるのか。
ずっと、空手をしていないと、そして試合という目標が無いと、3日も練習しないと鬱に戻ってしまうと思ってやっている部分はありました。
それは、ある意味大きく正しいと思います。
だけど、それは練習のサイクルを保つモチベーションでも、試合に向かう、そのための練習に集中するモチベーションではありません、欠けます。
では何か。

もう何年も前から、自分の欲のために戦う、ということをしていないと思います。
それではもう戦えないのです。
勝ちたい、ほめられたい、名誉がほしい。
そうではないのです。
自分はレンタル空手家を通じて、色んな人と触れ合ってきました。
そうでなくても、自分の回りの人は、自分と同じように、自分の人生を、自分自身でうまく向かいきれずに、危なく脱線をし続け進み、停滞し続け、逝ってしまう人。

グダグダ書きすぎました。
もう眠らなくてはいけない時間です。
一言で言います。
レンタル空手家は、選手生活が終わると同時に、終わります。

選手生活が終わったら、レンタル空手家も終わります。
そういう存在です。
自分の中の空手と、試合とは。

では明日、少し自主練して、仕事の後に荷物を詰め、明後日行きます。

本当にこれは最後まで悩んだのですが、今回口座を出させていただきます。
もし自分か、レンタル空手家(にまつわる他)を応援していただける方は、気持ちでいただければと思います。
後に、この後考えているレン空拡大系(施設編)のプロジェクトでクラウドファンド的なものも行うと思いますが、それを作っている時間がなく、正直ハンガリーで飯やばいんじゃねえのというかんじなので…。

では。

みずほ銀行 池袋支店 普 1122023 エンドウ ヒロフミ

2014年7月31日木曜日

格闘技は身体レベルからの認知療法

 暴力性や鬱などは、(感情ではなく)「自分の考え方・価値観」からくるものだというものが、日本の比較的進歩的なうつや依存の治療では常識となってきています。(欧米では何十年も前から主流です)

 「認知の歪み」を正し、周囲や自分自身と良好な関係を築いてゆくステップの一つが「認知行動療法」ですが、ただノートに書いたりするだけではなく、実際に行動に移していかないと効果はほとんどないと言われます。
 自分もその通りだと思います。

 ただ、日常の中では、「以前の価値観」がそこかしこにはびこっているものだし、何より自分は「まず頭で考えた(歪んでいない)価値観」に沿って認知・行動してゆくというのが、全然合いません。

 「(歪んだ)認知」というのは、脳ばかりでなく、実は身体そのものに刻みつけられた「(それまで生きてゆくのに必要だった生き方の)記憶」かもしれないとも思います。
 それは条件反射であり、反射を起こすのは、脳ばかりでなく、おそらく身体そのものでしょう。(熱いと思ったら指を離すように)

 「考えるより、感じろ」とはブルースリーの名言ですが、自分はおそらく「格闘技」を通じて「認知行動療法」をしてきたかもしれないと思います。
 そして、認知療法は「生きている限り日常的に続ける」ものであるように、自分にとって格闘技は、そういうものかもしれません。
 
 --例 --

自分はガマンしてでも人を傷つけてはいけない
(正当な欲求の封じ込め)

→コミュニケーションしていれば傷つけあうのはつきもの
ただ、自分は傷つけられすぎる範囲、また相手を傷つけすぎない範囲を知り、それを守ろう



弱い相手は絶対に傷つけず守ってやらなければいけない
(支配的な価値観)

→自分よりも弱い部分がある相手にこのくらい強く攻撃しすぎてしまうと傷ませてしまう
また自分より強い相手からこれ以上やられると完全に傷んでしまう
稽古の中で、相手の強さ弱さ、を見極め、それに応じた力加減を出そう
 また弱いと思っていた相手にもポイントを取られたり、思わぬ動きでやられることがある あなどらず、対等に見よう

 

自分の欲求はすべて受け入れられるべきだ
(自己中心的な縛り)

→自分の出したい攻撃を一方的に出しても、経験のある相手には間合いを読まれかわされ、潰される
また無防備に攻撃することだけを考え近づいても、カウンターを取られ、よりやられてしまう
 相手が何をしたいかを考えた上で、自分がしたいことと、相手のされたくないことをすり合わせてはじめて互いに触れることができる



自分は何をやっても、いくらやっても弱い
(根拠の無い無力感)

→道場に通い、稽古を積むほど、(少なくとも初心者のうちは)強くなる 
実際に組手や試合において、1対1の勝負を繰り返すことで、周囲や自分自身に認められる
 自分は、たとえ裸でも一人でも戦うことが出来るし、価値がある


2014年7月22日火曜日

他害・自傷をするよりも~ゆる空手~7/26(土)19:00@下板橋0分 やります

ご無沙汰してます 生きてます

夏のゆる空手やります
以下告知用ブログのコピペです

あ、前の四国大会は優勝できました ありがとうございましたm()m 動画

無差別テロをする前に パートナーを殴るより 互いにミットを持ち合おう

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自分の気持ちが言えない人
いつの間にか言えない気持ちが、他人への暴力や、自分への暴力になってしまう人
自分が嫌いでひきこもってる、普段は会社員・ママパパ、ストーカー気味、精神科で病名がついた、依存症、「俺(私)デートDVしてね?」って人…

遠藤が結局はそういう問題にとらわれている状況だと思い、もし同じような人がいたら、一人とでもミットを持ち合いたいと思いました(初心者でも遠藤用のミットは持てます)
よろしく!

言葉は苦手だけど、身体や拳で何か外に出せるクセを少しでも作れたらいいね

終わったら希望者は駅近辺でのゴミ拾いもどうぞ!
心のゴミは、街で拾おう!(申し込み時に言ってくれれば100円でトング用意します)


日時:7/26 19:00~(空手・クールダウン20:30まで 部屋でお茶・ゴミ拾い・21:30まで)

場所:下板橋駅前集会所:洋室  板橋区板橋二丁目3番1号
東上線下板橋駅から0分。改札目の前の広場にある白い建物の2階 (団体名「カラダノアトリエ」でとってあります)
JR板橋駅からは5分です。
区のページ

参加費:0円~1000円まで、気持ちで

持ち物:Tシャツ、タオル

(全然必須ではない)遠藤が喜ぶもの:近くのオリジン弁当とかスーパーとかで惣菜(たんぱく質系・野菜系)のおみやげ(金が無い) あと野菜とか(金が無い)

申し込み:forfuture1979[at]gmail.com
(お名前<ハンドルネーム可>と、ゴミ拾い参加でトングが必要か不要か書いてください)


画像は以前のイベント イメージです